わが社の承継

全ては革新のため、節目を見定めた理想的な世代交代

飯田工業薬品株式会社

飯田工業薬品株式会社
主な事業内容:
製紙用化学品、プラスチック原料、包装資材などの仕入れ・販売
本社所在地:
静岡県富士市
創業:
1938年
従業員数:
100名(グループ全体)

 

雄大な富士山を望む静岡県富士市は、豊富な湧き水に恵まれていること、天産品である和紙原料のミツマタが手に入りやすかったことから、古くから盛んに製紙業が営まれてきた。この地で1938年に紙の原料を扱う個人商店から事業を始めたのが、飯田工業薬品株式会社だ。88年もの歴史を紡いできた同社は昨年、3代目の飯田悦郎氏から4代目の飯田真一郎氏へ経営をバトンタッチ。次なるステージへ歩み始めた。

71歳で社長の座を明け渡した悦郎氏は、「ずいぶん前から、70歳をターゲットに次期社長へ承継しようと考えてきました。ご覧の通り、私はまだまだすこぶる元気ですが、だからといって“あと5年続けよう”と考えをあらためることはしません。ここで譲ると決めたら、きちんと退く。それがベストな承継の形だと思います」と語る。未来を見据え、計画的に潔く、次世代へタスキを渡す。同社の承継には、持続可能な会社経営につながるトップの意識があった。

基幹産業の発展と共に、成長ニーズに応じて事業を拡大

会長
飯田悦郎

戦争によって解散を余儀なくされた飯田商店を戦後再び設立したのは、悦郎氏の父である飯田菊次郎氏だ。1966年に飯田工業薬品へ社名を変更。当時から現在に至るまで、一貫して取り扱ってきたのは、製紙の過程で用いられる工業薬品である。強度を向上させたり、水を弾いたり、インクのにじみをおさえたり……。さまざまな機能を紙に付与するための薬品を提案・販売する専門商社として、富士市を中心に多くの製紙会社と取引を続けてきた。「地元で生まれ、地元の産業と共に歩んできた会社です」と悦郎氏は話す。

顧客のニーズや時代の変化に応じて、製紙以外の分野にも商売を広げ、現在は苛性ソーダなどの無機薬品、ポリエチレンなどのプラスチックフィルム、医薬品・医療機器向け副資材など、多様な商品を取り扱う。静岡支店と東京支店を設け、マーケットは富士市外にも拡大している。

また、菊次郎氏の代と悦郎氏の代で1つずつ設立した2つのグループ会社も、事業の大きな柱となっている。芙蓉化成株式会社は、家庭用トイレットペーパーやティッシュペーパーなどの包装フィルムの印刷加工を手掛ける企業だ。ドラッグストアなどでよく見かける商品の包装フィルムの多くは、同社が印刷を担っている。

こうしたプラスチックフィルムは、製紙企業における製造過程で端材などのロスが発生する。それを引き取って圧縮梱包し、再生プラスチックに生まれ変わらせる事業を営むのが、もう1つのグループ会社であるエフ・ピー・アール株式会社だ。

ここ10年ほどは、製紙過程で発生する「スラッジ」と呼ばれる紙の廃棄物を焼却した灰を、特殊な薬品とブレンドして土に戻す事業にも取り組んでいる。スラッジの処理は、各製紙会社はもちろん、富士市としても大きな課題だった。これを、土に戻すというサステナブルな方法で解決する同社の取り組みは、非常に重宝されているのだとか。
「紙の製造に用いる薬品を納め、その商品を包装するフィルムを納め、製紙過程で出る産業廃棄物の処理を引き受ける。製紙企業のニーズや困りごとをトータルで解決できる点が、当社の強みです」
新社長の真一郎氏は、顧客の要望に応えながら拡大してきた事業の特長をこのように話す。

 

グループ会社の芙蓉化成では、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどの包装フィルムへの
印刷加工を担う。飯田工業薬品がフィルム素材を調達、芙蓉化成で加工、飯田工業薬品へ納品。

個人商店から会社組織へ。伝え続ける「利他の精神」

ワンストップで顧客の課題を解決する製紙企業の“駆け込み寺”ともいえる企業へと同社が発展してきたのは、前社長の悦郎氏が「個人商店から会社組織への脱却」を意識して、多くの施策に取り組んできた成果だ。

「先代の父が亡くなり、私が会社を継いだのは1993年です。あの頃、商事会社はとにかく売って、売上を伸ばすものだという考え方が根強かった。私も当初は“売ってこい”と社員の尻を叩いていましたが、次第にそのやり方が立ち行かなくなってきました。原因は、インターネットの普及です。商事会社は自分たちが持つ情報を武器に、お客様の困りごとに対応してきました。けれど、お客様自身がインターネットを通じて情報を取得できるようになったのです」

悦郎氏は、当時をこう振り返る。1つの武器を失った自社が生き残るには、より顧客へ近づき、密接な関係を構築する必要がある。そのためには、大きな発想の転換が必要だった。悦郎氏はこれを「天動説から地動説への転換」と表現する。

「主語を“私たち”から“お客様”に変えなくてはいけないと思いました。自社の儲けではなく、お客様が受け取る価値の向上を最優先する。言うのは簡単ですが、180度考え方を変えるのはとても難しいことです」

これを実現するには、会社としての方向性をしっかりと確立した上でそれを社員へ浸透させ、社を挙げて尽力していく必要がある。そこでまず着手したのは、経営理念と行動指針の策定だ。3つの柱から成る経営理念と、5つの持つべきマインドを掲げた行動指針を一からつくり上げ、組織をまとめる礎とした。

加えて打ち出したのは、「ラブラドール・ハート・カンパニー」というキャッチコピーだ。顧客目線であり続けるためには、「利他の精神」が必要だと考え、盲導犬として活躍するラブラドール・レトリバー犬の、賢く利他的な特徴と自社のあるべき姿を重ね、掲げたものである。

「お客様の価値を上げることが当社の使命だという理念を明確にして、この哲学を社員に伝え続けてきたつもりです」と悦郎氏。

新社長の真一郎氏は、悦郎氏のこの姿勢を肌で感じてきた1人だ。「悦郎前社長が会議などの場で、“それは、お客様のためになるのか?”と問いかける姿を何度も見てきました。社員全員が何事も“お客様の価値”を基準に判断しているのは、理念が浸透しているからだと思います。代が替わっても持ち続けたい大切な意識です」と、理念を踏襲していく意思を語る。

 

(左) 1996年に完成した本社社屋。(中央) 悦郎氏の代から毎年作成している経営計画書。売上目標だけでなく、
目指すべき会社像などについても記載し、全社員に配布。(右) 本社社屋完成当時の様子。

しかるべきタイミングでバトンタッチをするべき

真一郎氏は、悦郎氏の弟(元専務取締役で現在は顧問)の長男。つまり、2人は伯父と甥の関係性にあたる。正月に顔を合わせる程度だった甥に、次期社長を任せようと決めたのは、社長交代のおよそ1年前のことだ。かつて同社の東京支店で営業職を務め、その後、別の企業で働いていた真一郎氏は、2020年に再び同社の門を叩く。当時、専務取締役だった父親が体を壊したことがきっかけだった。

「手術をした翌日から父は仕事をしていました。その姿を見て、何か少しでも自分が役に立てることはないかと思ったのです」

社長
飯田真一郎

当時はまだ、悦郎氏は次の社長を誰にするか決めていなかった。ただ、70歳に照準を合わせ、事業承継をするプランはもっていた。長く飯田家がタスキをつないできた企業だからこそ親族間承継がベストだと考えつつも、そうではない道も模索。経営とオーナーシップを分けて会社運営ができるよう、持株会社の設立に踏み切ったところだった。

なぜ悦郎氏は、承継の期限にこだわったのか。そこには、自身が痛感した“世代間に横たわる価値観の違い”が大きく関わっている。父・菊次郎氏が社長を務めていた1990年頃、悦郎氏は取締役営業部長を務めていた。高成長から低成長へ時代が大きく変わる中、悦郎氏は「このままのビジネスモデルではやがて立ち行かなくなる」と再三にわたって父に提言。しかし、高度経済成長期の成功体験をもつ父には、なかなか聞き入れてもらえなかった。この経験から、「私はある程度の年齢になったら社長を交代して、時代に合ったやり方で会社を率いてもらおう」と心に決めたのだ。「気が付かないうちに、世の中の流れに自分が追い付かなくなるものです」と悦郎氏は、しかるべきタイミングで次世代へ会社を引き継ぐべき理由を語る。

真一郎氏に会社を託そうと思ったのは、共に仕事をする中で真一郎氏の性格や物事に向き合う姿勢に経営者の資質を感じたからだった。

「彼は、“素直な負けず嫌い”なんです。ただの負けず嫌いだとやっかいな頑固者ですが、素直さがあれば負けず嫌いが良い方向に働く。そう思いました」

真一郎氏は「次期社長を」との打診を二つ返事で快諾した。

「祖父が大きくして、伯父と父が守ってきた会社の社長を任されるのは、とても名誉なこと。もちろん不安もありましたが、40歳で社長を拝命できるなど、他の人にはなかなかできない経験ですから、ワクワクする気持ちがありました」

「本当の意味で父や伯父の役に立つには、経営者の目線で会社を見ないといけない」と、後継者に指名される以前から、高い視座で仕事に邁進してきた真一郎氏。顧客はもちろん、社員とのコミュニケーションを大切にし、自ら積極的に声がけをするなど、顧客を知り、共に働く仲間を知る努力を続けてきたという。1年ほどはグループ会社の社長職も経験。苦労はしたが、「社員の成長やお客様からお褒めの言葉をいただくことがとてもうれしく、経営者の仕事のおもしろさを感じました」と話す。こうした姿に、悦郎氏は経営者の資質を見たのだろう。

「私のコピーでなくていい。私にない部分を伸ばして、新しいことに挑戦してほしい」とエールを送る悦郎氏に、「私には、先代のようにトップダウンで会社を率いる資質はない。社員の声を拾い上げ、ボトムアップでチャレンジし続ける経営者でありたい」と真一郎氏。

ワンストップの事業スキームをさらに磨き上げ、会社としての存在感をより一層、高めていくのが目標だ。グループとして、「100億企業」を目指すことも明言している。
時代の変化に、世代交代で立ち向かう。同社の承継には、手本とすべき理想的なアップデートの形がある。

 

 

機関誌そだとう226号記事から転載

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