わが社の承継

会社を背負う重責。家業にかける親と子の思い

山本被服株式会社

 

山本被服株式会社
主な事業内容:
ユニフォームや作業服の製造・販売など
本社所在地:
静岡県駿東郡
創業:
1923年
従業員数:
98名

 

「実は、日本で初めて作業服を工業生産した民間企業は当社だといわれています。それに日本最古のデニムブランドを立ち上げたのも、山本被服です。そうしたパイオニア精神を受け継いでいることに、誇りを感じています」

そう胸を張るのは、2023年に創業100周年を迎えた老舗衣料品メーカーである山本被服の山本陵社長だ。同社は制服や作業服の製造販売をメインとし、静岡県内の大手自動車会社や警察のユニフォームを手がけてきたことでも知られている。強みは、100年の実績で培われた品質と信用。自社工場にはデザイン機能も有し、企業や官公庁向けにオリジナルのユニフォームを提供する。一方で、中国地方などから仕入れたアパレルの販売事業も展開し、現在の売上構成比は自社製造販売が約40%、仕入れ販売が約60%だ。

創業のきっかけは、アメリカ西海岸の炭鉱で働いていた山本彦太郎氏と妻のゑき氏が、現地の炭鉱夫が愛用していたデニム素材のオーバーオールに着目したこと。「STAR OVERALL」と名づけたオリジナルの作業着を現地で製造販売したところ、すぐに人気ブランドとなった。そうして1923年にロサンゼルスでアパレルメーカーを設立した。アメリカで事業に成功した山本夫妻は1926年に日本へ帰国。沼津市に建設した被服工場でオーバーオールをつくり、日本にデニムを広めたのだ。戦後、高度経済成長期には産業界からのユニフォーム需要が急拡大し、中国にも生産拠点を設けるなど、事業は順調に発展していった。

 

1926年、日本創業時の写真。男性社員は仕事着としてデニムオーバーオールを着用している。

経営者としての思いと、せめぎ合う親の心

陵社長は1982年生まれで、創業者の玄孫に当たる。2014年に山本被服へ中途入社、翌年には取締役に就任し、節目である2023年に満を持して社長に就任した。先代である山本豪彦会長の長男で、100年企業の御曹司である。社長になるのは既定路線とも考えられるが、陵社長は意外にも「子どものときは、会社を継ぐ気はありませんでした。両親から会社を継げといわれたことも、一度もありません」と語る。

他方、豪彦会長は、決してその気持ちがなかったわけではないと心情を吐露する。
「本音では会社を継いでほしいと思っていましたが、いえなかった。厳しい経営環境の中、会社を背負うのは重責です。親心としては、苦労させたくないという気持ちもありました。もし、他に本人のやりたいことがあれば、それをやらせてあげるのが親の道だとも考えていたのです」

陵社長が学生時代を過ごしたのは、バブル経済崩壊後の平成不況真っ只中。アパレル業界は苦境にあえいでおり、それは山本被服も同様だった。陵社長は「会社がこの先、どうなるかわからないから、他の仕事も考えておいたほうがいいと、母には密かにいわれていました」と明かす。とはいえ同氏は物心ついたときから、実家の隣にあった自社工場のミシン音を聞いて育った。心の中には「自分が会社を継がなければ」という意思が、無意識のうちに芽生えていたのかもしれない。ただ、両親の思いもあってか、陵社長は立命館大学を卒業後、地元の静岡銀行に入行した。

「自分としては事業承継を特に考えず、関心のあった金融業界を中心に就職活動をしたつもりです。でも、心のどこかで“家業を継ぐ”という前提があって、就職先を選んだのかもしれません。実は、大手保険会社からも内定をいただいていたのですが、銀行なら経営に関するノウハウを得られそうだし、地元経済の動向や、家業の取引先についてもよくわかるといったメリットはたしかに感じていました」と同氏は振り返る。

 

(写真左)100周年を期に商品として復刻した、日本最古のデニムオーバーオール。
(右)本社工場の縫製ラインでは、ベトナム人技能実習生も多く活躍している。

地元で芽生えた責任感。歩み出した後継者の道

静岡銀行に入行後、小田原支店、浜松支店を経て、御殿場支店勤務となった同氏に、転機が訪れる。それまでは個人向けの資産運用や住宅ローンの営業を担当していたが、御殿場支店で配属されたのは法人営業。家業の情報が、自然と耳に入ってくるようになったのだ。自身の取引先である地元の経営者たちは、地域経済のハブ企業である山本被服のことを、陵社長以上によく知っていた。

「静岡銀行の担当者としてだけでなく、“山本家の長男”としても見られました。地元では山本被服への期待がいかに大きいのかも、強く感じたのです。それに、事業承継に四苦八苦する取引先も目の当たりにしましたから、家業の姿が重なり、責任感も湧いてきました。地元に長年支えられ、育ててもらった山本被服を、自分が守っていかなくていいのか、地域に貢献しなくていいのか。自問自答を繰り返しました。銀行の仕事にはやりがいがあったし、生活も安定していましたが、自分さえ良ければいいという考え方は通用しないと思えてきたのです」

 

投資育成の投資先であるダンレックス・八木橋社長からの要望で、
デニム生地を全体に使用した同社のオリジナルユニフォームを作成。

 

一方で、事業承継について豪彦会長から初めて相談があったのも、その頃だった。親子だからこそ、互いに通じるものがあったのだろう。「社内で相談して、承継を見据えて会社に入れるなら、早いほうがいいと考えました」と豪彦会長。その背景には、同氏の苦い経験があったと語る。

「私は大学卒業後、3年ほど他社のアパレルメーカーで修業してから、当社に入りました。ただ、父や親戚たちが経営陣にいたため、私は特に経営には関わっていなかったのです。私が47歳のとき、当時の社長だった父の従弟から社長職を継いだのですが、その約1週間後に彼は心臓病で急逝してしまった。『経営の引き継ぎは二人三脚でじっくりやろう』といわれていたので、とても焦りました」
だからこそ、息子にバトンタッチするなら、自分がしっかり伴走できるうちにと考えていたのだ。

2020年に創業の地である静岡県沼津市でオープン
した、オーダースーツサロン「FILATURA」。

「それに地域経済界との付き合いなども考慮すると、30歳前後で承継を見据えて入社したほうがいいとも思いました。経営者は相談相手が少ないですから、例えば、地域の経済団体などに入って、地元で同年代の経営者仲間ができれば、何かと頼りになりますし、心強いでしょう」

豪彦会長と相談した結果、陵社長は約8年間勤めた銀行を退職し、承継を前提として山本被服に移った。陵社長は工場や商品管理部門で研修した後、総務部門に配属された。豪彦会長は、当初考えていた処遇とは違っていたと指摘する。

「私の父も、私も営業一筋で、稼ぎ方を知らずして経営者は務まらないという信念があったのです。だから息子が入社したら、まずは得意先回りをさせようと思っていた。しかし、出向で静岡銀行からきていた当時の専務取締役から『私に預けてください』と、強く意見されたのです。『経営者は、自分で決算書をつくれるようになるべき』ともいわれましたね。根負けして専務に任せたのですが、たしかに息子は、財務はもちろん、総務、人事と経営に関する業務を何でもこなせるようになりました。私とはまったく違う、彼の長所です。人の意見は聞くものだと、今では評価しています」

老舗ならではの経営を、いかにアップデートするか

取締役会長 山本豪彦

一方で陵社長も仕事に慣れてくると、経営陣に対して次々と新しい提言をするようになった。すべては会社のためだったが、当時は経営方針の違いから、豪彦会長と激しく衝突することもあったと陵社長。

「銀行時代の感覚が、抜け切れてなかったんでしょうね。衣料品業界の商慣習が“旧態依然で非合理的”に見え、変えるように進言しても父は耳を貸さない。そのときは、“自分の意見が是、父の意見が非”と決めつけていたのですが、必ずしもそうではないことに気づきました。不毛な対立を続けても会社にとってプラスにならないと考え直し、落としどころを探ろうと切り替えたところ、父たちの主張にも一理あると、思えるようになったのです」

豪彦会長から経営者として学ぶことも多かったと、陵社長は続ける。「父は“企業は人なり”がモットーで、社員をとても大切にしています。例えば、私なら給与体系を成果中心にするところ、父なら『あの社員は今、子どもの教育費がかかるから』と家族手当を手厚くする。企業は今や、どこも人手不足に悩んでいます。長期安定雇用を考えた場合、父のような視点も必要だと理解できます」

代表取締役社長 山本 陵

陵社長は老舗ならではの経営体質をドラスチックに改革するのではなく、新プロジェクトで変化の“プチ成功体験”を付加し、新たな伝統を築いていくことにした。すると、経営陣にも意見が通りやすくなったそうだ。2018年には旧本社工場を建て替え、スーツやシャツの「オーダーサロン」を開設、BtoC事業へと乗り出している。また、100周年記念事業として「STAR OVERALL復刻版」の製造販売にも着手した。限定100着は短期間で完売し、手応えを感じているという。

「社内外に、当社のアイデンティティを広く知ってもらう良い機会になりました。100年前からのストーリーがあるブランドは、他社には得難いわが社の貴重な資産です。今後の事業でも積極的に活用していきたいですね」と陵社長は意気軒昂だ。

一方で豪彦会長は、「席を譲った以上、相談がない限りは経営に口出ししません。自分が社長だったら、口出しされるのは嫌だからです」と一徹ぶりを示す。ただし「新しい社長には、新しい右腕が必要」と、最後の仕事として40歳前後の部長2人を抜擢し、置き土産とした。

変化の激しい現代社会において、制服や作業服の市場も先行きは楽観できない。しかし、「おしゃれで、かっこいい作業着は、タウンユースでも注目されています。そうしたユニフォームの新しい価値を提案し、市場を開拓していきたい」と、陵社長は次の100年を見据えて走り出している。伝統を守りながら、いかに革新していくか、その手腕に注目だ。

 

2018年に一部を建て替えた本社屋の外観。

 

機関誌そだとう222号記事から転載

経営に関するお役立ち資料を
お届けいたします

© Tokyo Small and Medium Business Investment & Consultation Co.,Ltd. All Rights Reserved.
S