「らしさ」を守ることが、改革の鍵を握る
CASE①山脇製菓株式会社
「事業承継をスムーズに実現できた理由は、大きく2つ。1つは、社内のさまざまな領域を自ら経験してきたこと。もう1つは、社長に就任する2年前から、先代が社長業務のほとんどを私に任せてくれたことです」
山脇製菓の4代目である山脇鉄也社長は、そう語る。
同社は1957年に山脇社長の祖父が創業した、かりんとうの専門メーカーだ。定番の黒糖かりんとうのほか、レーズンやメープル、瀬戸内レモン、チョコレートなど業界内でも一目置かれるユニークなラインナップを開発・販売し、好調な業績を継続している。
(左)独自の製法と厳選された原料で、素材のよさを活かして製造されているかりんとう。
そこに込められているのは、「素材そのものの美味しさをお届けしたい」という思い
(右)定番の「極上かりんとう」から、「レーズンかりんとう」や「ちょこかり」といった
多種多彩なラインアップが特徴的で、贈答品としても喜ばれる
山脇鉄也社長
- 主な事業内容:
- 油菓子・かりんとうの製造・販売
- 本社所在地:
- 東京都豊島区
- 創業:
- 1957年
- 従業員数:
- 64人
山脇社長は営業本部長として営業部門を長年けん引し、2023年に代表取締役社長へ就任した。
「事業承継が具体化したのは、滋賀工場の建て替えが終わった2021年頃のことです。コロナ禍の影響などから、会社や事業が落ち着くまで時期を見定めることになり、実際の就任は2年後となりました」
その間に、先代と並走して社長業を少しずつ覚えられたことが大きかったと続ける。社長になったとき、新たに覚えなければならない業務は、全体の2割程度だった。
「社長業のすべてを一気に覚えるとなったら、パンクしていたかもしれません。先代は経営判断もすべて任せてくれたので、私自身で決断して実行することを繰り返しながら、徐々に社長業の何たるかを学べたのは非常によかったと感じています」
社長業でなくても、経験のない仕事を一気に任されれば、抜け・漏れが発生するリスクもあるだろう。その点、未経験の業務が2割増えた程度なら、十分に対処できる。
ただ、社長就任前にすべての準備が整ったかといえば、「そんなことはない」という。それ以前からさまざまなことに挑戦し、経験を積む中で、組織や事業のかじ取りについて見識を深めてきたというベースがあったからこそ、2年間を有意義なものにできたのだと強調する。
考えていなかった承継。可能性に魅力を感じて
山脇社長は大学卒業後、政府系金融機関に入行。5年ほど法人渉外業務を担当したのち、山脇製菓に入社している。そもそも、事業承継することは考えておらず、政策金融機関の仕事にはおもしろさも感じており、新天地へ異動の話も出ていたそうだ。それでも山脇製菓へ入社することを決心したのは、「政府系金融機関であれば自分の代わりはいるが、山脇製菓には自分にしかできないことがある」と感じたからだった。それに“かりんとう”という商品の可能性にも、大きな魅力を感じたという。
「かりんとうは昔ながらのお菓子ですが、子どもや若い世代には、その存在自体を知らない人たちも少なくありません。そこに成長余地があると思ったのです。かりんとうを極め、老若男女すべての人々が知っていて、誰もが食べてくださるお菓子をつくれれば、当社は大きく成長できる。学生向けの会社説明会でも、まだまだ伸びしろがある成長産業だと話しています」
20代後半で入社した山脇社長が、工場研修を終えて最初にとりかかったのが、関西営業所の立ち上げだ。当時、東日本よりも西日本のほうが売上は大きかったが、営業所はつくっておらず、ベテランを中心とした5名の担当者がそれぞれ独自に営業を行っている状況だった。これではメンバー同士で連携しづらく、チームとして価値を生み出しにくい。
そう考えた山脇社長は、1カ月半ほど関西の不動産会社を回って物件を探し、滋賀工場や主要顧客との距離といった条件を考慮した上で、兵庫県尼崎市に営業所を構えることを決めた。とはいえ、創業以来30年以上営業所を持たず動いてきた営業担当者たちに、ただ営業所に出てきてくれとお願いするだけではうまくいかない。ベテランの中には、「銀行出の若造が何をしようというのか」と品定めするような雰囲気もあった。
「相手を無理やり変えようとするのではなく、まず私にできることは何か、考えるようにしました」
まずは過去の請求書などを見ながら、営業に関する数字をすべて精査し、顧客との取引条件や関係性を把握することに努めた。山脇社長が顧客と直接コミュニケーションをとる機会を増やし、郵便物なども営業所に送ってもらうよう手配。「いまだにファックスを使うのは、山脇製菓くらいだ」という顧客の声を知った山脇社長は、すぐさま顧客との連絡をメールに切り替えたという。
「郵便物や荷物が営業所に届けば、メンバーも出てこざるを得ないでしょう。西日本エリアの状況も精緻に把握でき、顧客との窓口を私が担うようにするなど、2年ほどかけて地道に改革していきました」
営業所が機能するようになると、次は採用活動にも目を向ける。当時の西日本地区にいた営業担当者は全員が60~70歳と高齢であり、近い将来、定年を迎えることがわかっていた。そのため、西日本の営業体制を整えて世代交代を図ることが、喫緊の課題となっていたのだ。単に現在の顧客を引き継ぐだけなら、即戦力として中途採用を強化するだけでいい。しかし、人材育成や事業運営の継続性を重視して、新卒採用にも乗り出した。採用サイトをつくり、会社説明会の会場確保や学生への案内、資料作成、当日の説明、その先の面接まで、すべてを自ら行ったという。しかも、6~7名を定員とした少人数の説明会を年に50回実施する徹底ぶりだ。
「履歴書だけで、どんな人か判断することなどできないので、面接したいという学生とは全員会うようにしています。だから、当社ではエントリーシートを使っていません。学歴などは関係なく、必ず対面で話す。その人との勝負だと思っています」
また、面接には、採用する部署の社員にできる限り入ってもらう。
「社長や人事だけで決めてしまった場合、配属先の人が採用に不満を感じたとき、他人事になってしまうでしょう。でも、自分も面接に参加していれば責任転嫁はできないし、育てようという気持ちも強くなります」
50人、100人規模の説明会を行えば、少ない回数で済み、エントリーシートを使えば面接する人数を絞ることもできる。面接官が増えれば、日程調整にも手間がかかるはずだ。何より新しい試みというだけで仕事が増えるわけだが、効率よりも重要なことがあると山脇社長は語る。
「山脇製菓という会社で一緒に働くイメージを、学生にも社員にも、しっかり持ってほしいからです。私たちのような中堅・中小企業が、大企業と同じことをしていてはダメです。当社に魅力を感じてくれる人たちを確実に見逃さないためには、懇切丁寧に一人ひとりと向き合うしかないと考えています」
この取り組みで着実に人材は増えていき、現在、本社の部署ではジョブローテーションを行う余裕も生まれている。山脇社長としても、営業所の設立から営業、さらに採用の細部に至るまで、大きな経験となった。
東京都豊島区にある本社の1階は、その場で購入できる店舗になっている
さまざまな経験が活き、細部まで見えるように
実は、山脇製菓には開発部門がない。商品開発は、経験豊富なベテランに頼る部分が大きくなっていた。商品開発のノウハウを後進へ伝えることが課題だと感じた山脇社長は、社員育成と商品開発を組み合わせた『未来プロジェクト』という取り組みを、2019年から始める。
これは所属部署や年齢に関係なく、商品開発に挑戦したいメンバーを募って、プロジェクト化したものだ。
「開発も採用も同様で、専門部署があると『そこがやればいい』となってしまいます。とはいえ、社員全員からアイデアを募るのは、強制することになるので避けたい。そのため、興味や意欲のある社員を募集することにしました。その本気度や熱意を確かめるため、希望者には面接だけでなく、論文も提出してもらっています」
このプロジェクトから、実際に「栗かりんとう」という新商品を生み出すことにも成功している。
「未来プロジェクト」で開発された
「栗かりんとう」も人気商品だ
コロナ禍でしばらく実施を見合わせていたが、2023年に復活。メンバーは滋賀工場に集まり、普段は製造に関わっていないメンバーも、その工程をしっかりと学ぶ。商品開発や製造を熟知している工場長にも加わってもらい、技術伝承の機会にもしたいと考えているそうだ。
現在の滋賀工場
こうして、さまざまな改革をけん引してきた山脇社長は、社内におけるほとんどの業務を一通り経験してきた。そのおかげで、「山脇製菓という会社を網羅的に把握することができた」と語る。
「自ら業務を経験することで、会社のどこにどのような課題があるのかを明確にできました。すべてを自分で経験することは、必ずしも正解ではないかもしれません。しかし、会社を継ぐ上で、細かいところまで見えているというのは非常に大きかったと実感しています。また、私が社長となった後に何をするべきか、何に取り組むべきかを考え、判断を下す際のベースになっているのです」
たしかに、社内の業務すべてに携わった経験や、改革の実績があれば、社長として自らの決断に自信も出てくるはずだ。
変えるべきではない、会社の根っこにある文化
(上)創業当初から、最終工程の検品は今でも手選別を
重要視している
(下)1968年に操業を開始した滋賀工場
会社への理解が深まったことで、“変えるべきではないもの”も明確になった。
「コツコツと地道に物事を積み上げることで着実に前へ進むのが、山脇製菓の文化であり、根っこだと考えています。これは、社長が1人で変えていいものではありません」
山脇社長の持論は、「会社における最上は社員であり、文化は会社を支える根っこや幹にあたるもの。経営者は、その中間に位置すべき存在」というものだ。そのため、社長の判断で変えていいのは、枝葉の部分であり、根っこを変えるには、社員の同意が欠かせないという。
他方、改革を続けてきた山脇社長が、経営の舵を握るようになってから変えたものもある。女性が働きやすく、活躍しやすい環境の整備だ。
「今後、中堅・中小企業が生き残っていくには、女性がきちんと働ける環境づくりが欠かせません。産休や育休などの制度を整えることも大切ですが、その制度を気兼ねなく使える雰囲気を醸成することが、より重要だと考えています」
子育てをしていれば、突然、子どもが体調を崩して、早退しなければならないこともある。そのとき、周りがネガティブな雰囲気を出してしまっては、制度があっても利用しづらくなってしまう。そのため、山脇社長は「ポジティブな雰囲気をつくっていくことは、自分のためでもある。自分が同じ状況になったとき、休みや早退をしやすいように」と伝えて、根本的な意識から変えようとしているそうだ。
「かりんとうを極めることも、人材育成も文化の醸成も、一朝一夕にできることではありません。だからこそ、山脇製菓らしく地道にコツコツと、着実に前へと進んでいきたいと思っています」
機関誌そだとう218号記事から転載