海外視察会レポート

東欧工業の変遷と日本企業のビジネスチャンス

2019年度 ハンガリー スロバキア クロアチア視察会(2019年9月23日~9月29日)
勝野 連

東京中小企業投資育成株式会社
業務第二部主任
勝野 連

東西冷戦時代には、物理的にも経済的にも非常に遠い存在だったハンガリー、スロバキア、クロアチア……。ところが今、この3国には、日系企業の進出が増えているといいます。

本年の海外視察会では、それぞれの国の実情をみてきました。そこで得た気づきを、事務局として参加した勝野がレポートします。

視察会スケジュール

参加者 投資先企業20社20名の皆様
東京中小企業投資育成株式会社
代表取締役社長 望月晴文
ビジネスサポート部長 大村智之
ビジネスサポート部 部長代理 関山大輔
業務第二部 主任 勝野 連

弊社で毎年開催している海外視察会。
東西冷戦の象徴、ベルリンの壁崩壊からちょうど30年目となる2019年の訪問先に選んだのは、かつては我が国と反対の東側に所属していたハンガリー、スロバキア、クロアチアです。

冷戦当事、我が国からは物理的にも経済的にも遠い存在だった3国ですが、現在では日系企業の進出が増えているといいます。

今、この地域に何が起こっているのか?日本企業にとって、どのようなビジネスチャンスがあるのか? ハンガリー、スロバキア、クロアチアの産業の歴史を振り返りながら考えてみたいと思います。

西欧市場向けの生産拠点に!

第二次世界大戦後、アメリカはいわゆるマーシャルプランにより、西ヨーロッパに対する復興援助と米国企業による欧州市場開拓を推進、西側諸国は経済的な結びつきを強めていきます。これに対し、旧ソ連は東欧諸国と経済相互援助会議(コメコン)を発足させ、加盟各国間での国際分業を推し進めていきました。コメコン体制では、ルーマニアなどが農業国に指定される一方、ハンガリーに電気機器・ディーゼル機関車、スロバキアに工作機械・乗用車・産業用機器などといった工業品が集中生産の対象として割り当てられ、ベルリンの壁崩壊まで、この分業体制が続きます。

東欧各国が市場経済に転換すると、西欧市場向けの生産拠点として外資企業が進出するようになります。代表例が自動車メーカーを多数抱えるドイツ企業によるハンガリー進出です。1993年にオペル、1994年にはアウディが完成車の組み立て工場の稼動を開始させ、その後もメルセデス・ベンツなどドイツの完成車メーカーが続々と進出していきます。

マジャールスズキ、ユーラシアロジスティクスにて。

マジャールスズキ、
ユーラシアロジスティクスにて。

しかし、最も早い時期に進出した自動車メーカーは、欧州車メーカーでも、米国車メーカーでもありませんでした。我が国の自動車メーカー・スズキが、ベルリンの壁崩壊から最も早い時期にハンガリーで自動車生産を開始したのです。

本視察会で一番目の視察先に選んだのは、その「マジャールスズキ」。社名の「マジャール」はハンガリー語における「ハンガリー」を意味しますので、日本語風にいえばスズキハンガリーです。

同社は、首都ブダペストから車で1時間程度の距離にある古都エステルゴムに東京ドーム12個分の広大な敷地面積を有する工場を構え、約2500人の従業員が働いています。生産台数は年18万台。生産された車はヨーロッパを中心に輸出されており、ハンガリーを代表する輸出企業となっています。中には日本に輸出している車種もあり、現在日本のスズキディーラーで販売されている「エスクード」は同社の生産です。

EUに加盟した今日では、全ヨーロッパ市場への供給拠点となっていますが、スズキがハンガリーに工場を作った当初の目的は、冷戦が終結した旧東側諸国の市場を獲得するためでした。ベルリンの壁崩壊直後も、東欧諸国ではトラバントやラーダといった、1960年代で時が止まったかのように見える旧東側生産の旧型車が、黒煙をもうもうと吐いて走っていました。「ここならスズキの軽自動車でも勝てる」、当時社長の鈴木修氏は、そのような思いからハンガリーに進出することを決断したそうです。低賃金でありながら、旧コメコン体制下で工業製品を作ってきたハンガリーの工業国としての土壌、識字率の高さ、ハンガリー政府からの熱心な誘致もあり、まだだれも進出していないハンガリーに飛び込む決断をすることになります。

当事のハンガリー人は、自動車を手に入れたくても色や形も選べず、また、手に入れるまで何年も配給を待つ、という状態でした。マジャールスズキの現地生産は、お金さえ払えば、好きな車を、好きな時に購入できる、という社会主義の終焉を象徴する「自由」をもたらした、ととらえられ、ハンガリーの国民車として愛されることになります。

また、同社は、ハンガリーでの部品の調達比率を高めるために、現地の部品メーカーに対する技術支援を行うなど育成にも取り組み、ハンガリーの自動車産業の発展にも貢献しました。同社が構築したハンガリー国内のサプライチェーンが、後に続くドイツ自動車メーカーの進出を促進したという一面もあるでしょう。現在、同社では大半の部品をハンガリー国内から調達しています。

東欧進出の鍵はパートナー

我が国の自動車メーカーとしては小規模であるスズキが、なぜ、リスクが高そうなベルリンの壁崩壊直後の東欧進出第一号として成功できたのでしょうか。実は、この成功を支えた重要なパートナーの存在があります。

マジャールスズキの隣地、というより、もはや敷地の一角といえる場所にあり、同社の物流機能を担うユーラシアロジスティクス社。その親会社、伊藤忠商事こそ、進出当初からスズキを支えたパートナーなのです。ユーラシアロジスティクス社はスズキのハンガリーにおけるビジネスを支援するために伊藤忠が設立した会社で、現在はハンガリー、ポーランド、ロシア各1拠点の体制でマジャールスズキの完成車の輸送や生産計画とリンクした部品調達の体制を確立しています。視察会で訪問したときにも、ユーラシアロジスティクス社のプレゼンはマジャールスズキの事務所でしていただくなど、まさに一体で事業に取り組んでいる様子を見ることができました。「メーカーが商社を活用する形態についてとても良いモデルだと思った」(大和合金・萩野社長)との声が参加者からあったように、日系メーカーが海外進出をする際の商社との協力体制として、一つの成功形態であるように感じました。

ポイントは地理的な優位性

スロバキアでの昼食会で、日冷工業上杉社 長(左)、アオキスロバキア工場長夫人(中)と。

投資先企業である宇都宮精機の石川会長(右)
は、スロバキアの名誉領事でもあります。
今回の視察会では、訪問先の手配や現地での
案内で多大なるご協力をいただきました。
写真はスロバキアでの昼食会で、
日冷工業上杉社長(左)、
アオキスロバキア工場長夫人(中)と。

東欧の工業国は、ベルリンの壁崩壊後、このように外資企業の欧州向け生産拠点として経済発展していきます。なかでも、東欧に隣接するEUの盟主ドイツの企業が多く進出していたことから、モノの移動を円滑にしたいドイツの思惑もあり、市場経済が機能し始めた東欧各国のEU加盟が議論されることになります。

2004年、EUは、旧ソ連構成国3カ国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、旧ソ連衛生国4カ国(チェコ、ハンガリー、ポーランド、スロバキア)、旧ユーゴスラビア構成国1カ国(スロベニア)の新規加盟を決定します。東欧諸国はこのEU加盟で西欧と人・物・資本・サービスの移動が自由となっただけでなく、EU補助金を活用した道路・鉄道・空港・港湾などのインフラ整備も活発に行われることになり、西欧市場向け生産拠点としての優位性を年々高めていきます。

スロバキア投資貿易開発庁(SARIO)と千 代田インテグレスロバキア社からスロバキア の投資環境や駐在体験をレクチャーいただき ました。

スロバキア投資貿易開発庁(SARIO)と
千代田インテグレスロバキア社から
スロバキアの投資環境や駐在体験を
レクチャーいただきました。

スロバキアでの視察先「アオキスロバキア」もそのような背景を生かして、スロバキアで事業を拡大させている一社です。同社は、ターボチャージャー用シャフトをはじめとする自動車部品の加工を手掛ける埼玉県の中小企業、青木精機工業の現地法人です。2013年にスロバキアの首都ブラチスラバから120㎞ほど北東の小都市に設立されました。日本で培った金属の切削・熱処理・研磨技術をスロバキアにも定着させ、ターボチャージャーで使用される部品の世界シェア3割を占めるまでに成長させることに成功しています。スロバキアに工業国としての土壌があったことで、青木精機工業が日本で培った独自技術をスロバキアにも定着させることができたそうです。現在では現地スタッフのみで操業しています。

青木精機工業が進出先としてスロバキアを選択した最大の理由は、ヨーロッパの中心にあるという地理的な優位性だといいます。スロバキアへの進出により、従来からの販売先である欧州自動車メーカーに対する製品供給の速度・安定性が高まったことはもちろん、陸続きのロシアへの営業・物流の効率を高めることが可能となっており、これからもビジスが拡大していきそうです。

新美駐スロバキア大使閣下にご招待いただ き、大使公邸で夕食をご馳走に。弊社からは、 日スロバキア交流100周年を記念した桜の植 樹活動に寄付をいたしました。

新美駐スロバキア大使閣下にご招待
いただき、大使公邸で夕食をご馳走に。
弊社からは、日スロバキア交流100周年を
記念した桜の植樹活動に寄付をいたしました。

同社がスロバキアを選んだ理由はもう一つ。EUが拡大しているとはいっても、そのすべてが単一通貨ユーロを導入しているわけではありません。今回の訪問先でいえば、ハンガリーはフォリント、クロアチアはクーナですが、スロバキアはユーロ導入国です。スロバキアが数少ない東欧におけるユーロ導入国であることも進出の決め手の一つだったそうです。

悩みは、高度人材の流出

その一方で、東欧工業国における課題も見え隠れしていました。ハンガリーとスロバキアで視察した日系企業は、いずれも付加価値の高いビジネスに取り組んでいたものの、ドイツ企業は、例えば自動車メーカーであればエンジン関係は東欧への生産移管を進めていないなど、ドイツにとっては、労働集約的で付加価値が低い製品の下請け先としての色が強いようでした。

また、視察会でレクチャーをいただいたジェトロブダペスト事務所によると、EUへの加盟で域内の人の動きが活発になったことで、ハンガリー国内の高度人材が、ドイツやイギリスに流出しているとのことです。

そのため、東欧諸国では、ドイツ一国への依存度を減らそうとしているようです。返済不要な補助金や優遇税制を設け、ドイツ以外からの外資導入を促進したり、陸続きで輸送ができる中国やロシア、アドリア海に面するスロベニアのコペル港を開発して、アジア諸国への輸出強化にも取り組んでいます。

ユーゴスラビア紛争での打撃

矢崎ヨーロッパザグレブ支店にて、ワイヤーハーネスの R&Dの様子を見学しました。

矢崎ヨーロッパザグレブ支店にて、
ワイヤーハーネスのR&Dの様子を見学しました。

また、高度人材にとどまらない、幅広い階層での、賃金の上昇と労働力の不足も多く聞かれた課題です。この人手不足に対して独自の取り組みで成果をあげていたのが、最後の訪問国、クロアチアで視察した矢崎ヨーロッパザグレブ支店です。

「支店」と名乗っていますが、ワイヤーハーネス世界最大手であり売上高2兆円の矢崎グループにおけるR&D拠点の一つとして、欧州事業においての車載向けコネクタの開発を担っています。

第二次大戦後のクロアチアは、これまで訪れたスロバキアやハンガリーなどとは違い、旧ソ連の衛生国ではなく、中立の社会主義国家ユーゴスラビア連邦構成国として、工業地帯を形成していきました。しかし、他の東欧各国で民主化が進み、スズキがハンガリーに進出していた1990年代前半、この国の産業は、ユーゴスラビア紛争により大きな打撃を受けることになります。

矢崎ヨーロッパが進出したのは、まだユーゴスラビア紛争の終了間もない時期です。その狙いは、コネクタ製品等の開発に必要不可欠な質の高いエンジニアを確保するため。冷戦が終結すると西欧に近い東欧諸国には外資の流入が進んでいましたが、クロアチアはユーゴスラビア紛争の影響もあり、外資企業の進出はほとんど進んでいない状況でした。矢崎ヨーロッパでは、R&Dセンターの設立を検討するにあたり、西欧はもとより、冷戦後の外資流入が著しい東欧諸国では優秀なエンジニアを安定的に獲得することが困難であると考えました。

そこで目をつけたのが、旧ユーゴスラビアの工業を牽引し、国内に多くの工業・自動車・電気工事の専門学校が存在するクロアチアです。同社は他社に先駆けてクロアチアに進出すると、現地で優秀なエンジニアを獲得すべく、クロアチアの名門大学であるザグレブ大学との関係構築に力を入れました。研究データの提供や共同研究の実施などの技術支援や就職支援を積極的に行い、ザグレブ大学から優秀な人材を安定的に獲得し続けることに成功しています。

投資先企業の千代田インテグレは、2006年からスロバキアで事業を行っています。視察会では、中国での駐在経験もある、千代田インテグレスロバキア社の三好氏からもレクチャーをいただきました。

三好氏によると、日系企業が多く進出する中国など東アジア諸国では「残業をさせてほしい」という労働者が多い一方で、東欧諸国では、そもそも残業の概念がないそうです。限られた労働資源をどのように有効活用して事業に取り組むのか。東欧の「ものづくり」の現場では、東アジアよりも生産性を意識する必要があると感じました。

敏感なアンテナと勇気が!

嘉治駐クロアチア大使閣下にご招待いただき、大使公邸を訪問。

嘉治駐クロアチア大使閣下にご招待いただき、大使公邸を訪問。
日本とクロアチアの経済関係は年々拡大していますが、まだまだ
発展の余地があると感じました。

地域の特性を見極め、自社の独自性を発揮することで、事業を拡大させる。今回の視察先から学んだ、その成功に最も必要なことは、新たな土地でビジネスチャンスを見つけようとする貪欲なフロンティア・スピリットでした。

今回視察した企業は、いずれもだれかに請われて進出したのではありません。他社に先駆けて、進出できるフロンティアを見つけ出したのです。経営者は常にアンテナを高く張り、挑戦していく勇気を持ち続けることが必要で、成長には、それが欠かせないのだと実感しました。

機関誌そだとう202号記事から転載

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