投資先受賞企業レポート

小さな市場をたくさん。これが勝つ秘訣だ

日本の「味」を、甲府から世界に届けたい……
株式会社テンヨ武田

武田信彦社長
国立大学を卒業して商社に入社後、1970年にテンヨ武田
(当時は武田食糧)に入社。専務取締役を経て、2004年
より現職。山梨県味噌醤油工業協同組合理事長や甲府商
工会議所副会頭などを歴任し、2021年には武田グループ
の代表取締役社長に就任した。

株式会社テンヨ武田
主な事業内容:
醤油および関連調味料の製造、販売
本社所在地:
山梨県甲府市
創業:
1872年
従業員数:
73名

 

日本は世界的に見ても、創業100年を超える企業が突出して多いことで知られている。山梨県甲府市に本社を置くテンヨ武田は、今年で創業152年となる長寿企業だ。その歴史を紐解くと、戦国時代にまでさかのぼる。

戦国時代、武田信玄の父・信虎は、駿河今川家のもとで客分として暮らしていた。しかし、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れると、信虎は駿河を追われ、京都に向かうこととなる。その道中、信虎は息子・信玄に諸国の内情を報じさせるために、街道の拠点に一族を残していった。その1つが甲賀郡水口村(現・滋賀県甲賀市)だ。幕末、同地にいた武田家の伝右衛門が、「先祖の地で一旗揚げよう」と甲斐の国(現・山梨県)に戻ることを決め、実業家へ転身。そこで酒造業を始め、息子・善兵衛が1872年に醤油醸造業を起こした。これが、テンヨ武田へとつながっていく。現在、同社のトップを務める武田信彦社長は、善兵衛から数えて9代目だ。

「先祖は滋賀県の武田山長敬寺にいた武田一族に至りますが、私には何代も続く家柄だという自負は特にありませんでした。ただ、父が社長を務める会社を、いずれは自分が継ぐことになるだろうという意識は、小さな頃からあったように思います」

そう語る武田社長は国立大学を卒業後、商社へ入社した。時代は高度経済成長期の真っ只中で、誰もが世界の五大陸で戦おうと盛り上がっていた日本社会。「山梨に帰るなんていったら変人扱いだった」と、笑いながら当時を振り返る。

「私も商社で楽しく働いていましたが、戻ってくるのかと心配した父が留学を持ちかけてきました。結婚したばかりだった私は、妻を連れて南カリフォルニア大学大学院に留学し、帰国後の1970年に山梨へ戻ってきたのです」

 

多くの家庭で親しまれているテンヨ武田の主力製品。
ビミサンは発売60周年、白だしは発売40周年を迎えた、
超ロングセラー製品となっている。

装置産業として、いかに競争力を高めるか

武田家が代々受け継いできたテンヨ武田は、1945年の甲府大空襲で工場が全焼してしまう。ただ、地下貯蔵庫にあった醤油づくりに欠かせないもろみが無事だったため、戦後、速やかに再建できた。

一方で、資本力を有する大手メーカーと競合する中、将来的に醤油だけでは厳しい生存競争を勝ち抜くことは難しいとも考えた同社は、1964年に濃厚だしつゆ「ビミサン」を先駆的に開発し、発売する。テンヨ武田が長年つくり続けてきた自慢の本醸造醤油をベースにした濃いつゆは、めんつゆとしてはもちろん、煮物や丼物、炒め物などにも使える万能調味料として生活者ニーズを捉え、大ヒット。発売から60年目となる今も、その味を変えることなく地元で愛され続けている、同社の看板商品だ。

ただ、これは他社との差別化という単純な話ではないと、武田社長は強調する。ビミサンのような醤油を活用した、独自性のある商品を開発したり、商圏を限定した販売戦略を取ったりすることで、一つひとつは決して大きくなくとも、競争力を持って利益を得られる複数の柱づくりを目指したのだ。

「中堅・中小企業と大企業とでは、資金力やコスト競争力に差があります。そのため、東京などの都市部や全国区を目指すのではなく、山梨、長野、新潟、静岡などに集中して販売力を強化する。また、商品の認知度を上げるためのテレビCMも、ローカル局でたくさん流す。こうした戦い方によって、ビミサンはおかげさまで地元での強い支持をいただくことができたわけです」

 

万能調味料であるビミサンを使った定番メニュー(写真左)に加え、近年は「焼き蕎麦」
(写真右)などのアレンジメニューも、新しい食べ方の提案として活発に発信している。

 

そんな醤油以外を強化するテンヨ武田だが、祖業である醤油生産も維持・成長させていくため、コスト競争力をつけることにも注力。大手メーカーも所有する1台数億円の大型製麹装置を導入し、製造コストを大きく引き下げたという。

「醤油製造は大きな固定費がかかる装置産業です。私たちが醤油製品での利益を維持していくことを考えたとき、大企業のような大きな設備投資によって大量生産できる体制を整えれば、コスト面での差は埋められ、勝負していけると考えました」

年に100のアイデアで調味料メーカーへ脱皮

同社では「醤油メーカーから調味料メーカーへの脱皮」を掲げ、さまざまな新商品を世に送り出してきた。1984年発売の「白だしつゆ」(現・テンヨの料理用白だし)は、近年の「白だし」ブームに先駆け、テンヨ武田が早くから商品化し、長年にわたって販売し続けてきた商品だ。

「この白だしを出した当初は、大手が参入しないようなニッチ市場でした。だからこそ、地方の中堅・中小企業である当社が戦える商品だと考えたのです。しかし、最初は思ったように売れず、苦戦しました。色の薄い白だしは、料理が茶色くなりすぎないので、仕上がりがきれい。社会が豊かになっていく中で、料理の見た目を重要視する人は増えてくるはずだと考えたのですが、少し早すぎたのかもしれません」

それでも同社は、方向性は間違っていないという確信を持ち、あきらめずに販売を続けてきた。その結果、ようやく白だしの認知度も高まり、需要が拡大していったという。
「市場規模が大きくなった分、大手が参入してくるようになったので、小さい市場に着目した戦略をとっている当社としてはなかなか難しいところです」

他にも、山梨の特産品であるブドウや桃を使った「飲む果実酢」や「手軽に燻製を楽しめるおしょうゆ」など、幅広く新商品を開発してきたテンヨ武田。その源泉は、従業員一人ひとりのアイデアにある。

従業員の開発アイデアから実際に製品化されたものも多く、
近年は特に女性従業員のアイデアがヒットしているという。

「塩分17%という醤油の環境で生きられるのは麹菌や納豆菌のみで、それ以外の雑菌は気にする必要がありません。ただ、当社は確実な品質管理対策として、2000年に国際規格であるISO9001を東日本の醤油メーカーとして初めて取得しました。そして、この規格に沿ったものであれば、従業員は誰でも新製品の開発提案を出せることにしたら、年に100ものアイデアが出てくるようになったのです」

そこで、社内に小ロットの商品をつくれる小さな生産ラインを用意し、アイデアをすぐに試作品として実現できる体制を整えた。現在は開発部として15人以上のメンバーを配置し、既存商品の品質管理もこの部署で行っている。
「もちろん失敗したもののほうが多く、そう簡単にヒット商品は生まれません。でも、醤油をつくる技術を活かして新商品を開発し、たくさんの小さな市場をつくっていこうとする姿勢が大切なのです」

そうした独自の開発力が評判を呼び、取引先から「こんな商品はつくれないか」と相談される機会も増えてきたという。
実際に、全国展開する小売チェーン店からの依頼で開発したドレッシングは、ビミサンに匹敵する大ヒット商品へとつながった。
「ビミサンや白だしは地域を限定することでシェアを獲得していますが、この商品のように販売先を限定する戦略も、競争力を維持する上では非常に有効だと考えています」

2017年には国際的な食品安全システムの規格FSSC22000も取得。食の安全対策強化にも、惜しみない投資を行っている。

長く続けることこそが、一番の地域貢献である

甲府で150年以上も商いを続けてきた企業として、地域貢献への取り組みにも力を入れてきた。それが評価されて、今回の優秀経営者顕彰「地域社会貢献者賞」受賞に至ったわけだ。例えば2010年にご当地B級グルメの祭典「B-1グランプリ」で王者に輝いた甲府名物「甲府鳥もつ煮」のタレも、テンヨ武田がつくり、提供したものである。

「甲府鳥もつ煮は、砂肝、ハツ、レバー、きんかんなどの鳥もつと濃厚なタレを合わせた煮物です。もともとは蕎麦屋で不要になった鳥もつを使ってつくったのがはじまりの地元料理ですが、甲府市役所の職員からB-1グランプリ出場に向けたタレ開発の相談を受けて、一緒に試行錯誤しながらつくりました」

健康志向の女性を中心に、息の長い商品へと成長しつつある「飲む果実酢」の製造も、山梨県産ぶどうからつくられたワインビネガーとももの果汁を100%使用することで、地域貢献に一役買っている。
「果樹農家がどれだけ丁寧にがんばっても、売り物にならない果実は一定数出てしまいます。農家と契約して、こうした果実を有効活用することは、地域にとって大きなメリットになるでしょう」

また、同社が毎夏に開催している「夏休み親子料理教室」も、武田社長にとって大切な取り組みの1つだと力を込める。
「発売から60年経ったビミサンは、地元の方々が慣れ親しんだ味で、親から子、またその子へと味や使い方が受け継がれてきました。しかし、購買層は年々高齢化しているのも事実です。昨今は惣菜や冷凍食品も充実しており、料理をしない人も増えている。そこで、未来を担う子どもたちに料理をつくる楽しさや、地元で受け継がれる味を伝えていきたいと思っています」

 

「しょうゆ博士の出前授業」(写真左)や「親子料理教室」(写真右)を開催し、地域の方々と
直接触れ合い、製品の魅力を伝えることで、世代を超えた未来のユーザーになってもらう。

 

大学進学や就職、留学で数年間甲府を離れていたが、戻ってきてあらためて、山梨の住みやすさや魅力を実感していると微笑む武田社長。同氏が考える地域貢献とは、一体どのようなものなのだろうか。

「山梨は、何といっても自然の豊かさが魅力。なかでも甲府は県庁所在地で、大学、病院、図書館などの施設がコンパクトに整い、とても住みやすい場所です。でも、ここに住み続けるには、安定した仕事が必要でしょう。地元に根ざした企業として、安定した利益を出し、事業を長く継続していくこと自体が大きな地域貢献になると確信しています」

 

テンヨ武田の甲府南工場は、創業から150年以上の
経験や知識、技術を集結させた地だ。

 

一方で、近年はアジアを中心とした海外への輸出にも力を入れている。
「2013年に和食がユネスコの無形文化遺産に登録され、海外でも日本料理店が増えていきました。東日本大震災の後、上海で日本料理店を営む友人から『醤油が手に入らなくなった』と相談を受け、中国への輸出を始めたのがきっかけで、今では中国、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、タイなどに業務用の醤油や調味料を輸出しています」

その規模は年々拡大しているという。全体から見ると、海外輸出が占める割合はまだそこまで大きくないものの、海外でのニーズは高まっているため、もっと大きくしていきたいと武田社長は語る。

醤油という日本の伝統的な食文化を守りつつ、醤油を活用した調味料の開発や海外への展開にも積極的に乗り出す。そして利益を地元に還元していく。これこそが究極の地域貢献なのかもしれない。

「大きな利益を求めて大勝負に出ることはなく、勝てる戦いを確実にモノにしていく経営戦略を取り続けてきました。醤油づくりを守り、日本国内はもちろんのこと、和食とともに世界で好まれる調味料になっていくことが夢。 そして、私が先祖から受け継いだものを次世代につなげ、150年続いたこの企業を少しでも長く続ける。それが一番の目標です」

 

東京中小企業投資育成へのメッセージ

地元で長く続く企業として、山梨県内での人脈は独自に構築できているのですが、県外の経営者と接点を持つ機会は、それほど多くありません。広い範囲でのネットワークづくりなどで、投資育成さんのお力添えをいただきたいと思っています。ぜひ、ざっくばらんに情報交換や交流ができるような場を、ご提供いただきたいです。

投資育成担当者が紹介! この会社の魅力

業務第四部 部長代理
向川文也

この度は、ご受賞おめでとうございます。地域を超えた社長会の企画や若手経営者の会など、幅広い交流の場を提供させていただけるよう、一層精進してまいります。
テンヨ武田さまの商品は地域の味であり、従業員の皆様による味へのこだわり、地域貢献への想いが詰まっております。自信を持ってオススメいたしますので、県外の方々もぜひともお試しください。

 

機関誌そだとう218号記事から転載

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