起業列伝

ニーズに応える精神が、価値を生む

目標を決めたら情熱を注ぎ、突き進むだけ!

株式会社南華園

佐々木泰男氏
株式会社南華園 代表取締役会長

ささき・やすお。1938年2月1日、北海道函館市生まれ。東京の
輸入カメラ・映写機の専門商社勤務を経て、札幌市に移住し定
食店を始める。1967年、ラーメン・中華の南華園を設立。1973
年に業務用ラーメンたれの製造を開始。2022年に長女の泰美氏
に社長を譲り、会長に就任。

株式会社南華園
事業内容:
レトルト食品、ラーメンスープ、和・洋・中の各種たれ、瓶詰・缶詰、冷凍食品、ジャム、アイスクリームの製造販売。OEM商品企画開発。包材・資材デザイン
本社所在地:
北海道札幌市
代表:
佐々木泰美
創業:
1967年
従業員数:
60名

 

「どんな難題でも、最初から『できません』というのは大嫌い。なぜできないのか、どうしたらできるのか、そう考えれば、必ずやり方が見つかるはずです」

そう話すのは、北海道札幌市で創業して56年、総合食品加工メーカーである株式会社南華園の会長・佐々木泰男氏だ。子どもの頃から機械いじりが大好きで、アメリカ製カメラや映写機を扱う東京の専門商社に勤務するも、20代後半に生まれ育った北海道へ移住。夫婦ふたり、札幌で定食屋を始めた。
「当時、脱サラして飲食店を始めるのは難しいことではありませんでした。でも札幌中の店を食べ歩いて味を覚え、やるからには一番になろうと覚悟を決めて、自前の味をつくり込んでいったのです。その意気込みが功を奏したんでしょうね」

場所は札幌屈指の繁華街・すすきの。料理上手な妻がつくる定食は、高級クラブのママや舌が肥えた人々が高級車で乗りつけ、店の前には運転手たちが並んで待つほどの評判となる。しかし、1972年の札幌オリンピック開催に先立ち、札幌市営地下鉄の建設が決定。その工事で立ち退きが予定されたため、別の場所に土地を購入し、1967年、2階建てビルの1階を中華・ラーメン、2階を洋食のレストランとした「南華園」をオープンさせた。

南の地で華やかに……。札幌ラーメン黎明期を牽引

ビルは当時の好景気を彷彿とさせる豪華なたたずまいで、内装デザインもおしゃれ、厨房にはイタリア製のタイルを貼るという力の入りよう。ビルの前を通る路面電車の乗客たちが窓から一斉に顔を出し、店の中をのぞくこともあった。
「にぎやかなすすきのからは少し外れていて活気に乏しい場所だったから、できるだけ豪華な店にしたかった。中心地から見て南の方向にあったので、『南の地で華やかに』の思いを込めて、南華園と名付けました」

ここで佐々木会長自身が驚くほどの人気メニューとなったのが、ラーメンである。日曜祝日ともなると店の前には長い行列ができ、待ち時間が4~5時間は当たり前。出前を頼まれても、昼に入った注文を届けるのは日が暮れた頃というほど大盛況だった。よほど腕のいい中華の料理人を雇ったのかと思いきや、厨房で鍋を振っていたのは佐々木会長本人。カメラの輸入商社に勤めた元サラリーマンで、ラーメン屋に弟子入りしたわけでもない。そんな同氏が独学でつくるラーメンが、なぜそれほどまでに人々を魅了したのだろうか。

「味の研究は当然ですが、お客様が増えて数が出るようになってからは、一度にたくさんのラーメンをおいしく提供するにはどうしたらいいか、その仕組みを考え抜きました。灯油を気化する大火力のバーナーを自作したり、常にきれいな煮湯で大量の麺を次々に茹でられるよう、銅鍋に工夫を施したりもしてね。高温かつ短時間で茹でた麺は伸びにくく、コシがあって本当においしいんですよ」

 

北海道札幌市にある本社(写真左)は工場と隣接しており、ここで数多くのヒット
商品が生み出されている。ラーメンたれから始まった商品開発は、今やレトルト食
品や電子レンジ用惣菜まで多岐にわたり(写真右)、近々、新商品も増える予定だ。

 

札幌がラーメンの街として知れ渡り、縮れ麺を開発した西山製麺の初代社長とともに本州で開催された札幌ラーメンの講演会に登壇したのもこの頃。「後に有名になる店が出てきていたものの、札幌ラーメンの定義もはっきりしていない時代でした。今思えば、自分たちが試行錯誤しながら夢中で進んできたところが道になったのかもしれないね」と笑う。
そんな多忙な時期でも近隣の大学に通う学生がお腹を空かせているのを見ると、「代金は出世払いでいいから」とラーメンをご馳走していたということからも、同氏の寛大さがうかがえる。

元来の機械好きと研究熱心な性格、そして一番になるという意気込みがつまった南華園のラーメンの人気はさらに高まり、待ち時間は長くなる一方。ついにしびれを切らした来店客が、「家で食べるからスープだけでも売ってほしい」と鍋や保存容器を持ってきて店先に並ぶようになる。その要望に応えてスープと具材、麺をセットで売ったことに端を発し、1973年、業務用のラーメンたれ製造に着手したのだ。
「自宅の1階を改装して釜を1台入れ、大学ノートに書き溜めてきたレシピを頼りに、ラーメンたれの生産を始めました」
現在の総合食品加工メーカー、南華園の誕生である。

心を込めて試食をつくり、自らの手で全国を売り歩く

ラーメンブームに沸く当時の札幌には、「元祖」や「本家」を自称するラーメン店が雨後の筍のように現れていた。佐々木氏はその一軒一軒を訪れ、営業をかけていく。しかし元祖、本家と名乗る店主らは、南華園自慢のたれをけなすばかり。その場で契約成立とはならなかったのだという。

「店の従業員やお客様の手前、他所でつくった味のほうがうまいとは言えませんよね。それで店主の子どもが学校から帰ってくる時間に合わせて営業に行き、まずは子どもたちに振る舞いました。子どもが『父ちゃんのラーメンよりうまい!』と言えば、夜になってその店からこっそり電話がかかってくる。あとはライトバンにたれの缶を山と積んで店主の自宅へ運び込み、店主はあたかも自分で研究したという素振りで鍋に移して店に持っていくんですよ」

ラーメンたれ製造当初の製品は味噌の「1番」、醤油の「2番」、塩の「3番」。味の基盤となる南華園のたれがあれば、合わせるスープや具材を変えて店ごとにオリジナリティを出すことができる。ラーメン店がひしめく札幌で、他店との差別化ができる使い勝手の良さも重宝された。

 

1967年にオープンした「南華園」(写真左)は、華やかな外観と
モダンな内装(写真右)で豪華な雰囲気を演出している。

 

こうして北海道中のラーメン店、さらには学校給食にも採用されたところで、1978年にはいよいよ本州へ。青森から日本海側を下って全国行脚となった。特に佐々木会長の記憶に残っているのは、北陸地方での営業だ。石川、富山、福井のラーメン店に飛び込んで、ほぼ百発百中で契約を取り付けた。
売り込みのコツは、試食の調理に一切手を抜かないこと。お湯で溶いたスープに麺を入れただけで出す他社の営業マンを横目に、佐々木氏は本場・札幌の味に恥じぬよう、にんにくや生姜、野菜を炒めてスープをつくり振る舞った。さらに「後発の参入者ではあったものの、『おいしければ買ってもらえるはず』という信念で堂々と売り歩いたのも良かったのかもしれませんね」と続ける。

南華園は徐々に販路を広げ、現在の地に本社社屋と新工場を構えたのは1983年のこと。工場の規模が大きくなると自社製品の種類が増え、さらに他社の企画開発も手がけるように。初代林家木久蔵の全国ラーメン党や札幌ラーメン横町で開業した味の源八郎など、世に知られた商品の裏に南華園のたれが存在していることも多く、全国から次々とオファーが寄せられたという。しかし佐々木会長のものづくりにおける基本は、当時も今も厨房にある。「他企業の商品だとしても、南華園として出すからには味の妥協は絶対にできない」と、手間や時間をかけながら職人が厨房でつくる本格的な味を再現することに心血を注ぎ、その上、頼まれれば取引先の工場に設置する製造機械の相談にまで親身に応じてきたというから驚きだ。このようなエピソードにも、同氏の人柄が表れている。

 

中国から技術指導を求められた際は、佐々木会長自らが出向いて現地で鍋を振った(写真左)。
創業当初の定食屋で使用していたメニュー(写真右)が今でも残っている。

「創造・信頼・実行」で、不安定な時代も乗り切れる

新社屋落成の2年後には、ラーメンたれと並ぶ製品を開発すべく、レトルト殺菌装置を設置。ラーメンの具材や和惣菜などのレトルト食品を製造しながらノウハウを蓄積すること10年、2006年にはレトルトカレーの製造に踏み切る。これが売れに売れた。今では主力のラーメンたれと並ぶ、南華園の二本柱となっている。コロナ禍で業務用の製品の売上は落ち込んだが、レトルト食品はいわゆる“巣ごもり需要”の高まりもあり、順調にラインナップを増やしている。人気の理由は豊かな自然にはぐくまれた北海道産の食材だ。佐々木会長は以前から道内の農家、酪農家、水産会社に自ら足を運び、自社製品に使用する原材料の生産を依頼するなどして、強い信頼関係を築いてきた。

「思えば、最初の定食屋で頼まれてラーメンをつくるようになり、それが評判になって店を大きくした。行列に並ぶお客様からスープを分けてほしいと言われてラーメンたれの製造をはじめた。レトルト食品だって時代の流れに乗りながら、お客様のニーズに応えるためにできることをしてきただけなんですよね」

ただひたむきに、誠実においしいものをつくり、提供し続ける。しかし、それは決して平易な道ではない。不安定な世界情勢、原料調達さえ困難な現代で、それでも新たな価値を生み、消費者の求めに応じることができるのは、佐々木会長が創業当初から生産者や取引企業と築いてきた、親密な関係の賜物ともいえるだろう。
必要に応じたアイデアと覚悟の先にある実行力、そして忖度も損得もない人間関係。同氏の軌跡は、コーポレートマークに刻まれた南華園の企業理念「創造・信頼・実行」そのものだ。

佐々木会長は言う。
「しっかりと目的を定めて覚悟を決めたら、どうすればそこにたどり着けるかを考えて、やってみればいい」
厨房で鍋を振るい、現場で試行錯誤しながら新しい道を拓いてきた同氏の経営手腕は、正解の見えない現代の道標にこそふさわしい。

 

機関誌そだとう214号記事から転載

経営に関するお役立ち資料を
お届けいたします

© Tokyo Small and Medium Business Investment & Consultation Co.,Ltd. All Rights Reserved.