わが社の承継

“明珠在掌”の精神で、基盤をつくり正道を歩む

永光電機株式会社

 

「誰が継いでも、存続できる会社にしたいと思っていたんです。親族に限らず、社員から社長になっても構わない。ですから、息子にも娘にも何もいいませんでした」
電子・制御機器部品の卸・販売業を営むとともに、自ら工場を持ち、制御盤や検査装置などの設計・製造も行う「ものづくり商社」である永光電機。その社長室で、承継への想いを語る松田享相談役が見つめる先には、一枚の額がかかっていた。

そこには“明珠在掌”──「みょうじゅたなごころにあり」と読む禅の言葉が書かれている。大切な宝は自分の手の平にあるという意味だが、同氏はこう読み解く。
「これは、旧松下電工の丹羽正治社長からいただいたもので、私が大切にしている言葉です。誰にでもチャンスは巡ってくるが、目的・計画性・意思がないとそれに気付かず、自分のものにすることができないという教えだと、肝に銘じています」
この考え方こそ、現在の永光電機へと続く経営手法の土台を築き上げ、発展させてきたのだ。

同社は、1954年に松田相談役の父である務氏が創業した。アイデアマンかつ理論家であり、銀行からキャリアをスタートした同氏は、月次決算レベルで資金繰りを管理するための仕組みを確立し、加えて明確な自主申告経営計画書を導入することで、早くから自社経営の合理化を進めていたという。
「当時はまだ手書きでしたが、必要な数値を入れて計算すると、自動的に資金繰りが算出される書式が出来上がっていました。私は理系で、コンピュータが好きだったものですから、父の理論をもとにシステム化を実現したんです」

 

産業交流展2021では、ロボットを使った画像検査装置を出展し、注目を浴びる(左)。
オートメーション・計測の先端総合技術展「IIFES 2022」では、
パナソニックブースにAI外観検査装置デモ機を貸し出し、展示された(右)。

受け継がれる経営術で、ニーズに応えるものづくり

永光電機の製造部門躍進のきっかけ
となった、制御盤製作の様子。

3代目となる長女の小金澤奈未社長は、初代と2代目が培った経営の型を自身の考えに落とし込んでいる。
「祖父と父が長く蓄積してきた過去のデータを自分なりに解釈して指標をつくり、経営に役立てています」
多大な情報をもとに精緻な計画を立てる永光電機流経営術は、小金澤社長にもしっかりと受け継がれているようだ。そんな同社の業績は足下好調で、前期は売上・利益ともに伸長。今期も上期は10%近い増収を見込んでいるという。

「昨年4月から商事部門で電子・制御機器部品の注文が増えました。世の中は半導体を含めて品不足に陥っていますが、当社では上海の子会社なども使って仕入れを強化し、豊富な品揃えを実現できたことが好影響をもたらしたのでしょう。また、近年注力してきた製造部門でも画像検査装置の受注が拡大し、過去2番目の生産高となりました」と、小金澤社長は自信を持って語る。

東京支店の商品倉庫には、出荷を
待つさまざまな製品が並ぶ。

同社の商事部門は、制御機器における国内主要メーカーの1次代理店として多様な電子・制御機器部品を仕入れ、卸と直販を行う。納入先は約900社にもおよび、特に創業期より、旧松下電工をはじめとするパナソニックグループとの信頼関係が長く、深い。
製造部門は制御盤の設計・製作・設置から始まり、純水製造装置、近年では食品容器の印刷表示などを確認する画像検査装置、さらにAI(人工知能)を活用した外観検査装置にも進出している。目視に代わる機能を持つAI外観検査装置では、不定形の対象物でも処理することができ、パソコンなどの外観をチェックする検査装置に活用されているのだ。

現在、売上の80%弱が商事部門、20%強が製造部門だが、利益への貢献度は後者のほうが大きい。
「ニーズに合致したものづくりの力は、旧松下電工との付き合いの中で育ってきたものです」と松田相談役は振り返る。昨今は省人化と自動化の需要が強く、いろいろなメーカーとコラボレーションして設計・製造できることが永光電機の強みだ。

「何もするな」といわれ、考え抜いた8年間

同社が成長する基盤となった、商社兼メーカーというユニークな体制を築いたのは、務氏が創業してから5年が経った頃。遊技機の盤面を製作するため、工場を建設したのが始まりだ。その後しばらくして、現在の主力事業となっている制御盤の製造をスタートしたものの、最初は顧客から提供された図面通りにつくるだけで、設計はできなかったという。それでも、経理に強い同氏の計画経営によって、永光電機は祖業の商事部門で安定的に収益を伸ばしていた。しかし、松田相談役は会社を継ぐ気がまったくなく、大学は理工学部の精密機械工学科に進学し、技術者を目指す。

「父から事業承継に関する話は一切ありませんでした。何しろ、私が中学生のときに、自身が『子どもには跡を継がせない』と答えているビジネス誌のインタビュー記事を見せられたくらいですから。この人は何を考えているのだろう、と思ったものです。ただ、本当は最初から私に継がせるつもりだったのかもしれませんね。父は戦略家なんです」と、松田相談役は笑う。

相談役 松田 享

大学卒業後、大手メーカーに4年間勤務し、79年に入社。当初は、横浜営業所所長や経理を担当した。このとき、務氏がつくった資金計画書を見て、その緻密さ、優れた手腕に驚いたという。その後、89年に社長となった松田相談役に、務氏は「8年間は何もするな」と命じたのだ。
「いわれた通り、何もしませんでした。その代わり、会社の状況を分析して、自分がやるべきことについて考える期間にしたんです。今になって考えれば、まずは周りの役員と一緒に歩くことから始めなさいというメッセージだったのかもしれません」
このとき、落ち着いて社全体を俯瞰したことによって、解決すべき課題が見えてきたのである。

「父の能力とカリスマ性が傑出していたことで、多くの社員はみな自分で考えないイエスマンになっていました。私はその力に敬意を抱くと同時に、もっと普通の会社にしたいと考えるようになったんです。それは社員1人ひとりが自分たちで考え、協力しながら仕事に向き合い、組織としてそれを支援する仕組みや環境が整っているということ」
たしかに、2代目として会社を継いだばかりの頃は重圧もあり、“何かしなければ”と浮足立ってしまうこともあるだろう。冷静な判断をするために、こうしたモラトリアムの期間は必要だったのかもしれない。そのような意図が込められていたとしたら、務氏はまさに“戦略家”だ。

苦労の末につくり上げた“誰でも継げる”会社

「永光電機を変えたいという一心で、父とは頻繁にぶつかり、さまざまな提案をしても、ことごとく否認されました。私が行ってきた改革は、当時、反対されたことばかりです。99年に満を持して、その後の成長と事業承継を見据えた土台づくり10年計画を立てましたが、結果的には20年間かかりましたね」

松田相談役が社長に就任したときは、利益率の低い商事部門が事業の中心で、製造部門に資金を投下していなかった。同氏はそこに伸びしろを見出し、工場の強化とともに倉庫の拡大など物流も整備。製造部員を8人から22人に拡大し、設計も自前で行えるようになった。人材育成にも注力し、自ら考えて実践する社員を育てる。その結果、利益率は大幅に改善、社員の意識も変わってきた。

ときは流れ、今度は同氏が後継者を決める番だ。長男と2人の娘がいるが、務氏同様、誰にも承継の話をしてこなかった。それは、誰が継いでも存続できる“普通の会社”にしてきた、という自負があったからだろう。小金澤社長は3歳年上の兄が会社を継ぐものだと思っていたが、長男は教職の道に進むことを選んだ。
「兄が大学で教育を学ぶことを決めたとき、高校1年生だった私は、自分が跡継ぎになることを意識し始めました。父は何もいいませんでしたが、大学1年生のときには、すでに決心していたんです」

代表取締役社長 小金澤奈未
(旧姓松田)

小金澤社長は先代と同じ大手メーカーで4年間の経験を積み、2012年、永光電機に入社。14年には父の勧めで、投資育成主催「次世代経営者ビジネススクール」を受講した。
「財務の勉強や、同じ立場の方たちと知り合えたことが、私にとって大きな財産となりました。今でも連絡を取り合って、交流は続いています」
実はこれには、“実行力”と“心”、そして“人付き合い”が経営の要であるという松田相談役の思惑があった。同氏は後継者育成について、「帝王学などありません。日常生活や仕事をする姿から、学んでいくものです。私も父から直接、何かを教わったことはないです」と語る。

小金澤社長は他にも金融機関主催の勉強会などでさらに人脈を広げたあと、19年に3代目を継いだ。入社して7年の間に、仕入れ、営業、総務経理などを経験する中で、踏襲するべきことと変えなければならないことが見えてきたという。
「言葉で指導を受けたわけではありませんが、数値管理による基盤づくりと、正道を歩むということ、そして人とのご縁を大切にすることは、父の背中を見て学びました。一方で、固定ユーザーに偏った従来の営業スタイルから脱皮し、主体性を持った提案営業で新規開拓を進め、製造部門の強化をしていきたいと考えています。近々70周年を迎えるので、時代に合わせた理念の見直しや、子育て世代の従業員が働きやすい環境づくりなどにも取り組みたいですね」

こうした小金澤社長の話を聞き、「私は、何も口を出さないようにしています。幸いわが社の財務は比較的良いので、簡単にはつぶれません。創業者とは正反対ですが、失敗してもいいから、挑戦してもらいたいと考えています。ともかく楽しく、経営してほしいですね」と語る松田相談役。そこには経営者と慈父、両方のまなざしがあった。

 

永光電機株式会社
主な事業内容:
電気機械器具製造および卸売業
本社所在地:
東京都港区
創業:
1954年
従業員数:
70名

 

機関誌そだとう211号記事から転載

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