投資先企業レポート

顧客の”夢”をカタチにする会社

ダイコー株式会社
兒玉康資社長

だまやすつぐ社長
1953年生まれ。76年に明治大学政治経済学部卒業後、アメリカのカリフォルニア・マックストン社を経て、ダイコーに入社。
2001年3代目社長に就任。モットーは「守る力より変える力」。

ダイコー株式会社
主な事業内容:
エレベーター・エスカレーター・機械式立体駐車場装置などの設計・製作・施工・保守および販売
所在地:
東京都港区
創立:
1958年
従業員数:
206名(正社員)

「同時に受賞した社長さんとも仲良くなり、新たなつながりができました」と、優秀経営者賞を受賞したダイコーの兒玉康資社長(66歳)は喜ぶ。独自製品の開発や紙ベースだった設計書類の電子化と検索システム構築への取り組みを評価された。

困難な仕事ほど開発に力が入る

岩手県盛岡市にある「いわて県民情報交流センター」は全面をガラスで覆った設計としてシンボル的な建物だ。設置された3基のエレベーターも総ガラス張りで話題を呼んだ。これを施工したのがダイコーである。

「総ガラス張りは強度を維持するのが難しく、かご室の照明やドア用モーターなどの機構部分を見せないように設計するのが大変なので、大手は扱いたがらない。国内では当社のみです」と、兒玉社長は少し誇らしげだ。

もちろん、一般的な量産型エレベーターでは有名な大手メーカーが複数存在するが、同社は冒頭の事例をはじめ大型エレベーター、長いエスカレーター、多様なタイプの立体駐車場などに特化し、特殊な昇降装置のオーダーメイドで確固たる地位を築いている。特にカーディーラー向けの自動車用エレベーター(カーリフト)では国内シェア7割を握る。

商業施設での施工も多く手がけ、東京・渋谷ヒカリエには扉開口8メートル、10トンもの積載に耐えられる超大型荷物用エレベーターを納入、出入口手前に搬入物の向きを変える大型ターンテーブルも設置。大阪・ウインズ梅田には174人乗りエレベーター、阪神高速道路では火災発生などの際に地下トンネルへ地上から緊急車両を降ろすための車両運搬用エレベーターを納めた。

ちょっと変わり種の装置では、JAXA(宇宙航空研究開発機構)による大気圏調査用の大型気球を打ち上げる放球装置も作った。風向きに合わせて気球を回転させ、アームで気球を空中にリリースする大型装置で、ダイコーが培ってきた技術を応用。エレベーターとエスカレーターの駆動技術を応用したターンテーブルや観測機で構成される親台車と、跳ね上げ装置を搭載し一瞬で大型気球を跳ね上げる子台車からなる。

「JAXA向けに以前巨大なターンテーブルを作った関係で、研究者の先生から依頼がありました。25年ほど前に1号機を作り、12年前に2号機を納めています。基本的にはご依頼のあった仕事はすべて受けますし、難しくて変わった仕事が来るほどうれしくて仕方ないですね(笑)」と兒玉社長。困難な仕事ほど社員達もやる気に火が付く社風のようだ。

エレベーターやエスカレーターには定期点検が義務づけられているので、同社では全国主要都市14カ所にサービス拠点を設置。メンテナンス業務は、安定した収益源ともなっている。地震などが発生した場合には素早い対応と復旧が必要なため、こうした拠点の充実は取引先の評価を高めている。

2006年にオープンした盛岡駅西口複合施設「いわて県民情報交流センター(愛称アイーナ)」にダイコーが納めた総ガラス張りエレベーター。

2006年にオープンした盛岡駅西口複合施設「いわて県民情報交流センター(愛称アイーナ)」にダイコーが納めた総ガラス張りエレベーター。
大手が手がけない特殊昇降装置のオーダーメイドに圧倒的強さを誇る。

油圧式エレベーターと立体駐車場の国内先駆者

大阪・ウインズ梅田には、174人が一度に乗れる11トン人荷用 エレベーターを納入。

大阪・ウインズ梅田には、174人が一度に
乗れる11トン人荷用エレベーターを納入。

同社は1958年に兒玉社長の父が機械設備製造業者として創業した。その後、アメリカを視察した際、荷物運搬用の油圧式大型エレベーターが利用されていることに着目し、日本での開発に取り組んだ。当時、ロープを使った巻き上げ式のエレベーターはまだ電気制御の精度が低く、着床時に段差が生じたり、揺れもあった。ところが、油圧で押し上げたり、下げたりすると静かなうえ、ピタリと着床した。

「巻き上げ式も製造していますが、油圧式においてはパイオニアと言えます。当社では神話的な話題なのですが、その当時、ソニーの盛田(昭夫)社長が当社の油圧式に乗ったとき『何だ、動いていないじゃないか』とおっしゃったそうです。それほど静かだったのですね。『電子機器を扱う会社としては静かなエレベーターの方がいい』と当社製を採用していただき、今でもソニーさんは大事なお客様になっています」と、兒玉社長。

加えて、立体駐車場においてもダイコーは日本のパイオニアである。同社が第1号の立体駐車場を作ったのが65年、ちょうどこの年に立体駐車場工業会が加盟メーカー39社によって設立され、兒玉社長の父はその中心的なメンバーの一人でもあった。

立体駐車場は垂直循環方式、エレベーター方式をはじめ様々なタイプがあるが、立体駐車場工業会によれば2018年度累計で313万台を超える装置が設置されている。

「先般、父が亡くなり、書類整理をしていたら、工業会関連の書類が出てきました。目を通していると、初期の頃、国内の全自動車メーカーを集めて立体駐車場を普及させていく上で協力を要請する会合を開いていたことが分かりました。当時、自動車メーカーを呼びつけたのですから父も苦労したことでしょう。ちなみに、駐車時に前から入庫すると出庫時に回転して前から出てくる駐車場を作ったのは当社が最初なんですよ。まさに立体駐車場の歴史そのものなのです」

東京・渋谷ヒカリエの13 階まで劇場用の機材など を運ぶための荷物用超大 型エレベーター。

上)東京・渋谷ヒカリエの13階まで
劇場用の機材などを運ぶための
荷物用超大型エレベーター。
下)クルマを回転させながら方向転換
と同時に昇降も実現した新製品。
同社の技術を融合して開発された。

兒玉社長は1996年に代表取締役専務として実質的に経営を担うようになり、2001年から社長に就任。バブル崩壊後の不景気が続くなか、兒玉社長は筋肉質の企業体質を求めて経営改革に取り組み始めた。

「当初は手探り状態で優良企業への変身を模索しましたが、なかなかうまくいかない。あるとき、何ができたのか何ができなかったのかをじっくりと1年間考えた結果、12年から10年計画を立てました。3年ずつで区切りながら改革を進め、最後の1年に仕上げるというスケジュールです。営業力と技術力、開発力向上の3点について理想の未来図を描き、10年間で現実とのギャップを埋めるように実行と検証を進めています」

この10年計画のベースとなったのは、意外なことに大学駅伝だったと兒玉社長は言う。

「私は明治大学の学生時代、陸上をやっていたんです。明大体育会競走部は1907年の創部で今年113年を迎えました。箱根駅伝では第1回大会以来参加し続け、優勝回数も7回あります。近年は残念ながら低迷していましたが、今年は久しぶりに総合6位に入ることができました。

実は、私が競走部にいた時代も予選落ちするなど低迷期と呼ばれていたのです。私自身は選手ではなくマネージャーをしていましたが、悔しい思いをしました。何とか明大競走部の黄金期を取り戻したい。どうすればいいのか考えるなかで、10年計画で強化する方法を当時から考えていました。実際にはできませんでしたが、10 年あれば再建できるはずだ! と思いました。青山学院大学の現監督も、2004年に就任してから10年で優勝争いするチームにすると約束し、実際15年に優勝し、今の黄金期を作り上げました。スポーツも会社も同じ。10年あれば改革は可能です」

実は昨年4月に明大競走部のゼネラルマネージャーに就任した兒玉社長。4年後の記念すべき箱根駅伝第100回大会での優勝を目指し、いま強化を図っているという。

紙の設計図を電子化し蓄積技術の融合を実現

こうした経営改革の取り組みの中で、従業員の労働環境の改善、大阪支店・名古屋営業所開設、システムセンターの建て替え、エレベーター用のテストタワー新設などを次々と成し遂げていった。最も効果が大きかった取り組みの一つが設計書類の電子化と検索システムの構築だという。同社の手がける製品には同じものが二つとなく、ほぼすべてがオーダーメイドのため、膨大な数の設計書が保管されていた。ただ、一品一様とはいえ、類似したものやパーツが同一であるものの発注もあり、過去の設計を閲覧する場合、従来は、それを探し出す作業だけで多くの時間がかかってしまっていた。

「時間短縮による合理化とともに、技術者の情報・ノウハウを共有し、ミスを防止したり、イノベーションの促進につなげたいという思いもありました」と、兒玉社長は語る。

その成果として、蓄積の技を組み合わせた新製品開発が実現。ターンテーブルとエレベーター技術を融合し、省スペースで重量物を回転させながら方向転換を可能にした昇降装置もその一つ。顧客からの難易度の高い要求にもスムーズに応えられるようになってきた。

海外ではドイツの大手、GBHデザイン社が特殊昇降装置に力を持つという。ダイコーは同社と提携しており、盛岡の総ガラス張りエレベーターはその協力の下で作り上げた。

「巨大水槽の中にエレベーターを設置するなど高い技術力を持っており、建築会社や設計事務所がこの会社に相談に来るほどです。当社も見習って、お客様から相談に来てもらえるような技術力を持ったエンジニアリング企業を目指しています」と、兒玉社長は技術開発会社としての力を強めていこうと考えている。

御用聞きではなく相談される会社に

全国主要都市14カ所にサービス拠点を設置、 定期点検やメンテナンス業務の充実が高評価 を得ている。

全国主要都市14カ所にサービス拠点を設置、
定期点検やメンテナンス業務の充実が高評価
を得ている。

ダイコーが10年計画を立ててから8年が経ち、残り2年を残してどこまで経営改革が進んだのだろうか。

同社の仕事の形態は大きく三つ。公共事業への入札、ゼネコンや設計事務所などからの下請け、そして取引先と直接契約する直請けがある。直請けではトヨタ自動車やソニーなど大手企業との取引が多く、工場などへの新規設置ではかなり早い段階から相談を受けることが多くなった。

「御用聞き営業はダメ。お客様から相談されるように営業チームを強化してきました。工場建設の計画があれば、事前に営業が情報をつかんで、設計の上流工程に入り込むことが必要です。待っているようでは強い会社になりません。先日も大手日用品メーカーの四国工場でエレベーターに関する相談を受けました。直請けでは以前に比べてかなり早い営業ができるようになりました」

つかんだ情報に即反応できるよう、同社では全国拠点をつないでテレビ会議を毎週行い、情報や事例の共有を行っている。また、各営業の悩みや相談事を本部にレポートさせたり、毎朝、顧客の声を拾って、週単位で対応できるように営業も技術も一緒になって検討している。

「ちょっと遅れただけで注文を失うこともあります。いかにスピーディーかつタイムリーにお客様の夢、ニーズに応えていくかが重要です」

本業である特殊エレベーターの開発も怠りなく、現在、マンション内でマイカーを自分の部屋まで移動させる自動車用エレベーターを開発しているという。実は以前から設計図は作ってある。まだ建設が決定したわけではないが、もし決まれば、世界で3番目の画期的なカーエレベーター付きマンションとなるそうだ。

「私が小学生のとき、父から『会社を閉めるかもしれない』と複数回、聞かされたことがありました。会社も当時に比べると、景気が悪化しようがわずかでも成長できる筋肉質の体質になりつつあります」と謙虚に語る。10年計画が完了する2年後、さらに鍛錬されていることだろう。

東京中小企業投資育成へのメッセージ

兒玉康資社長

投資育成とおつきあいを始めたのは2002年です。当時、私が運営していたNPOの会合場所として、渋谷の投資育成本社会議室を使わせてもらいましたね。当社に投資してもらったときは書類をそろえるのに苦労しましたが、おかげで銀行など社外からの信用が高まりました。今後は自社の幹部育成でもお手伝いをしてもらいたいと思っています。

投資育成担当者が紹介!この会社の魅力

業務第一部 部長代理 会田孝広

業務第一部 部長代理
会田孝広

日本の建築物は、利用者の安全を守るために非常に厳しい法律による制限を受けています。巨大な建築物や独創的な建築物を建てるとき、どのような昇降機を設置すればよいのか、設計者が頼るのがダイコーです。お客様のどんな要望にも応えられるのがダイコーのすごいところ。ダイコーに負けないよう、私もお客様のどんな要望にも応えて参ります。

機関誌そだとう203号記事から転載

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